- ときがわ町の山城をナビゲート!! -
「山城ガールむつみ」さんによる
ときがわ町「大築城跡」の解説ページです。
たっぷりとお楽しみください。
▽▽ むつみさんよりメッセージ ▽▽
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こんにちは!
歴史&山城ナビゲーターも「山城ガールむつみ」です。
今回は、ときがわ町の「小倉城」「大築城」という
2つのお城をナビゲートします!
一緒に山城を攻めている気分になって楽しみましょう!
いざ!出陣!!!!!
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(※「小倉城跡」のレポートはコチラをご覧ください。)
【山城ガールむつみ】
歴史講師、歴史&山城ナビゲーター。
山城、歴史イベントや講座を多数開催。
数多くの御城印デザインも手がけ、
地域活性の起爆剤として
「山城」めぐりの楽しさを伝えている。
SNSは「山城ガールむつみ」で検索。
https://www.rekitoki.com/
これより「山城ガールむつみ」さんによる「大築城跡」の解説です。お楽しみください(^▽^)/
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ときがわ町の山城!
ときがわ町の大部分は外秩父山地に属していて、自然豊かな美しい町です。
荒川水系の都幾川とその支流の槻川が流れ、
さらには鎌倉街道が近くを通り、古くから交通の要衝地でした。
町の名前にもなっている「都幾川(ときがわ)」は、
都幾山の南麓を流れている川だったので「都幾川」と呼ばれるようになりました。
そもそもの語源は「斎(トキ)」とも言われ、潔斎などを意味し、
「清める」という意味を持つのではないかと考えられています。
都幾山には関東の武士から篤い信仰を集めていた古刹都幾山慈光寺があり、
関東において、この地がとても重要だったことがわかります。
それでは、ときがわ町の「大築城」に出陣してみましょう!!!
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ハイキングにも最適!
古刹慈光寺を攻めるための城?!『大築城跡』。
大築(おおづく)城がいつ築かれたかなどの詳細はわかっていませんが、
戦国時代に慈光寺を攻めるための拠点として大築城が使われたと考えられています。
大築城が築かれている山は、慈光寺領域と越生(おごせ)郷の境にあたる重要な場所です。
天文年間(1532-1555)に小田原北条氏の家臣上田朝直が在地の対抗勢力だった
慈光寺を攻略するための拠点として整備しました。
その後も北条氏の城として、拡張整備されていきました。
今でも山の中で、戦国時代の城の姿を楽しむことができます!
大築城に向かうルートはいくつかあります。
駐車場情報などはコチラ(準備中)
今回は椚平地区から登城します。
(このルートは現在は土砂災害の影響で車両通行止めになってますので、
車でお越しの際にはお気をつけください)
椚平地区では、復元された「大木戸」が出迎えてくれます。
ここは大築城の下を通る街道にあたり、この街道の監視のために大木戸が置かれたと伝わっています。
今は川に向いて復元されていますが、街道を封鎖するように大木戸が設置されていたのでしょう。
では、大築城へ登城開始!
大木戸の分岐を左手に進みます。
進むと、このような標識があります。
拡大すると…大築城と書いてあります。
ここを左へ。
小川には素敵な橋が架かっています。
マイナスイオンをたっぷり浴びながら進みましょう。
ハイキングに最適な道!
整備されている山道をズンズン進みます。